祖父倒れた顛末
早速でこのような暗い記事で始めることになってしまうのはとても残念だが、年始の衝撃的な出来事として綴っておく。
1月1日のこと。
介護施設で暮らす祖父を、父の計らいでこの日施設から連れ出し、我が実家で一晩をともに過ごすことになった。
晩御飯にはスーパーから買ってきたと思われる大皿の寿司と何品かのおせち、惣菜が食卓に並んだ。
寿司に限っても一人前あたりの量は私にとってもかなりのボリュームであったが祖父は一人前以上にそれらを平らげた。
衝撃的な出来事がこのあとに起きる。
食事が終わると祖父はベッドについたが、程なくして嘔吐した。
その後も辛そうな容体は変わらなかったため、私は何度か様子を見に行った。
その間にも数度嘔吐した。
私は父に、祖父のつらそうな容体を幾度も報告し、対応を促した。
しかし、父を含む家族は心配するそぶりを見せるものの、そのうち良くなると思ったのだろう、幾度対応を促そうとも、父が私に取り合うことはついにしなかった。
このときに私の独断で救急車を呼ばなかったのがひどく悔やまれる。
23時頃に見に行くと祖父は眠っていたので、もう落ち着いたのだろうと安心した。
その後また1時間ほどして見にいくと今度は目を冷ましていた。
「つらい?」と聞いても返答はない。
祖父は耳が遠く補聴器なしでは会話もおぼつかないのであるが、このとき私はそこまで頭が回らず、眠くて話しが億劫なのだと判断してしまった。
後から思うと、このとき祖父の挙動は明らかにおかしかったのだが、眠気が差していた私は、このときわずかに感じたはずの違和感を見過ごしてしまった。
また、祖父の容体に対する父含む家族の反応があまりに楽観的であったため、いつしか、心配している私の方が杞憂なのだろうと考えるようになってしまってもいた。
その後ほどなくして2F寝床についたあと、妻が水を飲みたいと言った。
やれやれ、と、水を取り行くため1Fにおりたとき、尋常ではない事態に直面する。
「やっぱり病院いかなあかんかも」と初めて父が焦りを見せていた。
祖父の状況を確認すると、目を見開き、激しい息切れを起こし、今にも息が絶えそうな様子であった。
父は電話を片手に、それでも何やら手を拱いていたので、僕は大声で「救急車呼んで!」と叫んだ。
ここから救急車が来るまで10分となかったと思う。しかし私にとってはひどく長い時間であった。
救急車が来るまでの間、一向に容体が改善しない祖父を見て、僕は祖父の手を握り、「おじいちゃん、頑張って!もうすぐ助かるよ!」と大声で叫んだ。
そんな私に、祖父は息絶え絶えの中、右手を開きわずかに手をあげて応えてくれた。祖父の額からは汗の水滴が噴き出していた。
救急車はなかなか来ず、私は「まだか!あーもうだめだ」などとこぼしながら玄関と祖父の元を行ったり来たりしていた。
そんな中ようやく救急車が到着した。
救急隊員は3人、到着して祖父の容体を確認するとすぐにAEDを取り出し装着を行う。
もう後は隊員方におまかせと思ったところ、隊員の1人から服を脱がすよう指示を受ける。
急いで祖父のパジャマを脱がし、父にハサミをもらい下着をかっさばく。
このとき私はとても冷静だった。祖父を救急車に運ぶ際にもAEDの運搬の助勢を指示される。
救急車に乗り込もうとすると、救急車で同行できるのは祖父の身体的事情を一番よく知る家族1人だけだと告げられる。
・・・祖父の一番の力になれるのは俺だけなのに。
そんな気持ちを押し殺し、家に残る父を慌てて祖父の元に連れ出した。
父と隊員が乗り込み扉が閉ざされるも、その後なかなか救急車が出発しなかった。
ドラマでよくある、搬送先を探すあれか。
如何しようも無いものと理解しながら、気持ちばかりが焦る。
救急車の中を覗くと、ドラマでよくある心拍数を測るあれが、口元には空気が送られるものと思われるマスクが取り付けられていた。
心拍数は110前後を示していた。
そのまま10分くらいは家の前で止まっていたと思う。
私は何もできず外で待つしかなかった。
なんとか持ちこたえてほしいと祈るばかりだった。
しばらくすると救急車の扉が開くと、隊員は搬送先を告げ、ようやく救急車は出発した。
後を追い搬送先に向かうことにした。
時刻は1時半を過ぎタクシーの営業時間も終了していた。
晩御飯時にお神酒をおちょこで飲んだでいたが十分な時間が経過している・・・そう判断し、私の運転で弟と2人で搬送先に向かった。
病院に入ると入口を入った横に救急用の待合室があった。
一人待つ父に状況を確認すると、祖父は嘔吐物による誤嚥性肺炎を引き起こしかなり危ない容体であるとのこと。
しばらく待つと看護師より診療室の祖父の元に案内された。
祖父の口元には管が差し込まれ、酸素が強制的に送り込まれていた。
祖父の手を握り話しかけると、祖父は私に目を合わせた。
よかった!意識がある!
安心してホッと一息をついた。
すると、祖父の目から涙がこぼれ落ちた。
ほどなくして医者より病状の説明を受ける。
誤嚥性肺炎で肺をひどく損傷しているとのこと。
一方、嘔吐の原因そのものは不明で、脳や腸などに悪い所見は見当たらないとのことであった。
その後、祖父はICUに運ばれる際、ベッドを移動するため、ベッド備え付けのボンベに呼吸器の管の接続替えを行なわれたのだが、この看護師の作業がひどくもたつき、酸素の供給が途絶える時間が数十秒ほど発生していた。
祖父は苦痛で顔を歪めたため、私は「早く!」と声を上げたが、看護師のマイペースは変わらず、私をひどく苛立たせた。
一病人の家族としての私と、多くの病人を処置する彼らとの立場や感覚の違いを実感するばかりであった。
ICUに運ばれるとき、祖父は口元につながれた管を引き抜く仕草を幾度も見せた。
え?なんで自分の命をつなぐ管を?
最初、管が喉に入っているのが苦しいからなのかと思った。
本当にそうなのか。
これを見たときから、私は祖父の心境を思い今なお心を悩ませている。
翌日、祖父の元に行くと、祖父はICUのベッドに寝かされていた。
呼吸器は昨晩と変わらず取り付けられ、機械を見ると酸素濃度60%と高濃度の空気が送り込まれていた。
また、体の至る所に点滴が打たれていた。後から来た父と母とともに改めて医者から病状の説明を受けた。
以下説明を受けた内容を箇条書きにする。
・誤嚥性肺炎。病状は変化なし。
・今後快方に向かう可能性もあれば悪化する可能性もある。
・敗血症の病状により血圧が下がっているため血圧を上げる点滴をうっているが、より効果の見込める首元の血管に直接打つための同意書が必要。
・マスクでは呼吸を促す効果が十分に見込めないため管を直接挿入している。
・鎮静剤の点滴により呼吸器の苦しみを緩和している。
まずはなんとか病状が快方に向かうことを祈るばかりだ。

